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『洒掃(しゃそう)』

日々の行持~洒掃(しゃそう)~
 小食(しょうじき)行(ぎょう)鉢(はつ)の最後に唱えられる『処世界梵(しょせかいぼん)』(後(ご)唄(ばい))が終わると拍子木二声が打ち鳴らされ、この拍子木と交打するように二番飯台(僧堂行鉢で給仕役である浄人(じょうにん)を務めた者の食事)の準備が整ったことを知らせる柝(たく)が一通(いっつう)打ち鳴らされ、更に打ち切り二声と交打して法堂(はっとう)(仏殿)の大太鼓が「ドッ(小)、ドン(大)…」と一通打ち鳴らされます。この鳴らし物を「普請(ふしん)鼓(く)」(請(しん)鼓(く)・作務太鼓)と言い、「普請」とは「衆を普く請す」ことで、主に山内衆に「作(さ)務(む)」の時間を知らせ、それぞれの持ち場に就かせしめる合図です。
 「作務」は作業勤務の略と言われ、禅院では坐禅と同じく大切な修行です。事務仕事から労働作業に至るまで、日常の様々な労務が作務として行われます。特に小食(朝食)後に行われる作務のことを「日天作務(にってんさむ)」と言い毎日欠かさず行われます。作務の中でも代表的なものが清掃で、水を用いて洗ったり、箒で掃いたりすることから「洒掃(しゃそう)」と言います。
 小食が終わり自分の寮に戻ると、素早くお袈裟、直裰から作務衣(さむえ)に着替え洒掃に向かいます。長谷寺では日々寝食を共にしている修行僧と、その指導役である役寮の計四十名程が、僧堂、法堂、観音堂、庫院、廻廊、境内、墓地、浴室に分かれ、それぞれに与えられた持ち場を三、四十分ほどかけて洒掃します。
 洒掃にも作法があり、特に仏様が祀られている場所では、箒で掃く時も、雑巾がけする時も、出来る限り仏様にお尻を向けないように心掛けなければなりません。また、法具を移動したりする際も細心の注意が必要です。道元禅師様は「眼睛(がんぜい)なる常住物(じょうじゅうもつ)を護惜(ごしゃく)せよ」と寺院の公有物は自分の眼の玉のように大切に扱いなさい、と示されておいでです。
 日課である洒掃(作務)は洗面と同じように、汚れているからする、綺麗だからしなくてよい、と言うことではなく仏の行(ぎょう)として取り組まなければなりません。作務が静の坐禅に対して、動の坐禅と言われる所以です。作務の時は作務に徹する。そうすることで、作務が分別する心を生じさせない「仏(ぶつ)行(ぎょう)三昧(ざんまい)」となり、自らが仏として現れるのです。

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