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『行鉢(ぎょうはつ)』 その四

擎鉢(いただきます)をしてようやく目の前の食事を頂くことが出来ます。擎鉢をした頭鉢には、小食ではお粥が、中食ではご飯が入っていますが、頂く際、頭鉢には口を付けることが出来ませんので必ず匙でもって口へと運びます。

まず初めに、先ほど『三口食の偈』をお唱えした通りお誓いをたてながらお粥(ご飯)を三口頂きます。器の持ち方は、擎鉢から右手のみを離した状態、つまり、左手親指を手前側(顔の側)に付け、人差し指と中指は外に向け下から台座のようにして捧げ持つのです。この時、器の上半分は「浄」といって触れてはならず、「触」という下半分にのみ触れることが出来ます。左肘は軽く張り、器は常に口元の高さで持ちます。これは、食べ物を、自分と同じ尊い命を下に見ないということです。坐禅の中での食事ですから、当然頂く際は背筋が真っ直ぐでなければなりません。動物が貪るかのように前屈みになって口から食べ物に向かうような食べ方でもなければ、器を持たずに箸で食べ物を奪ってくるような傲慢な食べ方もしてはいけません。必ず一つ一つの器を手に取り、口元まで持って来て命と向き合いながら恭しく頂きます。

『赴粥飯法』には食事中の作法が事細かに記されています。その一部を紹介致します。

器や筯、匙を扱う際は「カチャカチャ」音を立ててはならない。隣の人の器の中をのぞき込んで「自分より多い」などと不満に思う心を起こしてはならない。大口をあけてご飯を食べたり、音を立てて咀嚼したり、吸ったり、舌で舐ったりしてはならない。仏も「舌舐めずりをして食べてはいけない」と教えている。落ちたものを拾って食べてはならない。頭鉢のご飯はかき混ぜたり、おかずを盛ったり、汁物をかけたりしてはならない。臂を坐禅を組んだ膝に突いて食べてはならない。「手でご飯を取り散らかして食べてはならない」仏もそう教えている。

頂く早さは周りと合わせなければならない。自分だけ早く食べ終わってキョロキョロしたり、周りを急かさせたり、逆にマイペースで周りを気にせずゆっくり食べて皆を待たせるようなことがあってはならない。頭を掻いたり、ゴソゴソと動いたり、欠伸をしたり、鼻をかんで音を立ててはならない。くしゃみをしそうになったら鼻を手で覆いなさい。歯に挟まったものを取る際は必ず手で口を覆いなさい。果物の種など食べられないものは隣の人が見て嫌な思いをしないように隠しなさい。

食べ物が口に入ったまま話をしてはならない。仏は「舌打ちをしたり、喉を鳴らしたりしてはならない。息を当てて暖めたり、息を吹きかけて冷ましながら食べてはならない。」と言っている。また仏は「ご飯は極端に小さく丸めたり、大きく丸めたりするのではなく、綺麗に丸く整えて食べなければならない」と言っている。匙は真っ直ぐに口へと運び、ご飯がこぼれ落ちないようにしなさい。もし、ご飯の中に脱穀されていない粒や、砂や、虫などが入っていたら食べてはいけないし、隣の人に知らせたり、食事の中に唾を吐いたりしてはならない。一度食べ終わったのなら、もっと食べたいという気持ちを捨て、もっと欲しがって唾を呑み込んではならない。等など。

また、僧堂での行鉢では再請(さいしん)(または再進)と言ってお替わりがあります。食べ始めてから五分~十分くらいしたところで再び浄人が給仕にやって来ます。再請は希望制ですので、希望する者はお替わりをする器の中身をすべて食べきらなければなりません。希望する者は、筯、匙を下げて浄人を迎えます。沈黙を守らなければならない僧堂では、浄人は筯、匙を見て再請の有無を判断するのです。

なお、再請を希望しない者は逆に、それぞれの器の中身を再請までに食べきってしまってはいけません。半分ほど残しておきます。これは、再請を希望する者も、しない者も等しく食べ終われるようにする為です。

道元禅師様は再請の作法についても示されています。

再進の合図があるまでは、早く食べたいという思いで唾を飲み込んではならない。再進をする際は、必ず再進を希望する器の中のものを食べきらなければならない。残っているのに更に要求してはならない。仏は「ご飯でおかずを覆ったり、汁物やおかずでご飯を覆い隠したりして、更に食べ物をもらおうとしてはならない」と言っている。

以上のように道元禅師様は『赴粥飯法』の中で、器の扱い方から、食事中の態度や心持ちに至るまで、お釈迦様の教えに照らし合わせ、仏としての食事の頂き方(作法)について詳細に示されています。しかし、一つひとつを見て行くと、何も特別難しいことを示されているわけではないことに気付きます。現在も食事のマナーとして言われていることとそれほど相違がないからです。つまり、道元禅師様はマナーではなく作法として、「仏が食事をするのだから、食欲に任せた貪るような食べ方であってはならないし、また、食事を共にする人にも不快な思いをさせないように頂かなければならない」と、仏行としての食事の頂き方を示されたのです。

更にここで道元禅師様は、「食事をする際は、一粒のお米をも粗末にしないという道理を、きちっと頭でも理解し、その上で実践実行しなければならない。そのことがすなわち『法等食等』、食事は単なる食欲を満たす行為ではなく大切な修行であるということなのだ」と、食事(行鉢)という行為の重要性を強調されています。つづく

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