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『行鉢(ぎょうはつ)』 その三

僧衆への食事の給仕が終わると、維那は槌(或いは拍子木)を打ち、三度お唱えを致します。まず初めに唱えるのは『五(ご)観(かん)の偈(げ)』です。

一つ(ひとつ)には功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り、彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る【感謝】(これから頂戴するこの食事が、どれだけ多くの苦労に支えられ、また、如何なる経緯を経て我がもとに至ったかよくよく思慮し、感謝して頂きます)

二つ(ふたつ)には己(おのれ)が徳行(とくぎょう)の、全欠(ぜんけっ)を([と])忖(はか)って供(く)に応(おう)ず【反省】(この尊い食事を頂くにあたり、自らの行為がそれに見合ったものであったかどうか、み仏の教えに照らし、十分な反省をもって頂きます)

三つには心(しん)を防(ふせ)ぎ過(とが)を離(はな)るることは、貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす【修行】(人を誤った道に陥れる、貪りやいかり、そして真実の道理にかなわぬ偏見や邪見を離れ、仏の導きにかなった安らかな心を保つために、この食事を頂きます)

四つには正(まさ)に良薬(りょうやく)を事(こと)とするは、形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為(ため)なり【目的】(私たちの意志と行為を支えるこの体は、食事なしでは枯れしぼんでしまいます。今、正に優れた薬を服するが如くに、この食事を頂きます)

五つには成道(じょうどう)の為(ため)の故(ゆえ)に、今(いま)此(こ)の食(じき)を受(う)く【誓願】(私たちは、み仏の説かれた最善の道を歩まんと、今この食事を頂きます)

槌一下にて合掌し「一つには~計り」までを唱え、「彼の来処を」で揖手(いっしゅ)にし、「量る」で低頭します。「二つには~」から最後までは法界定印で唱えます。『五観の偈』(特に「二つには」以降)は自分自身を内観することなので法界定印でお唱えをするのです。

『五観の偈』に引き続いて僧衆は合掌し『出生(すいさん)の偈』(『生飯(さば)の偈』ともいう)をお唱え致します(中食のみ)。

「汝等鬼神衆(じてんきじんしゅ) 我今施汝供(ごきんすじきゅう) 此食偏十方(すじへんじほう) 一切鬼神共(いしきじんきゅう)」(汝ら鬼神衆よ、私は今汝に供物を施す。この食を十方に遍くして、一切の鬼神衆と共にせんことを)

出生とは、「出衆生食」の略といわれ、自分が受けた食事の中からご飯粒を七粒ほど(生飯)取り出し施食会を修し、一切の衆生に施すことをいいます。

僧衆は「出生の偈」を唱えながら、生飯を取る右手の親指と人差し指の先を頭饙に受けた汁で濡らし、更に生飯を置く左掌の中央と刷の末端も濡らします。次に濡らした右手親指と人差し指にて頭鉢からご飯粒をおおよそ七粒ほど取り出し、一度左掌に置き、それを覆うように右掌を被せ低頭し念誦します。再び右手で生飯を取り濡らした刷の末端に置き差し出します。以上が出生の作法です。差し出した生飯は食事の中程で収生(しゅうさん)(生飯を集める)の浄人によって生飯器に収められ、その後、僧堂の外に設けられた「生飯台」に供えられます。

『出生の偈』(小食は『五観の偈』)に引き続いて、『供養の偈』『三口食(さんくじき)の偈(『三匙(さんし)の偈』ともいう)』(二つ合わせて『擎鉢の偈』ともいう)を合掌にてお唱えを致します。

「上分(じょうぶん)三宝(さんぼう) 中分四恩(ちゅうぶんしおん) 下及六道(げきゅうろくどう) 皆同供養(かいどうくよう)」(上は三宝に分かち、中は四恩に分かち、下は六道に及ぼし、皆同じく供養せん)

僧衆は『供養の偈』を唱えながら、合掌低頭をして匙を頭鉢に入れ、筯を頭饙の上に置きます(中食は既に匙は入っている為、筯のみを置く)。

「一口為断一切悪(いっくいだんいっさいあく) 二口為修一切善(にくいしゅいっさいぜん) 三口為度諸衆生(さんくいどしょしゅじょう) 皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう)」(一口戴くには一切の悪を断ぜんが為にし、二口戴くには一切の善を修せんが為にし、三口戴くには諸衆生を度せんが為にし、皆共に仏道を成ぜんことを)

続いて、『三口食の偈』を唱えながら、合掌低頭をして頭鉢を両手で取り額のところで擎(ささ)げ持つ「擎鉢(けいはつ)」をします。この擎鉢がいわゆる一般家庭においての「いただきます」に相当するわけですが、行鉢では「いただきます」までにいくつものお唱えをし、ようやく尊い命(食事)を口にすることが出来るのです。

今、私がこうしてお釈迦様から伝わる鉢を行ずることの出来るすべてのご縁に感謝を申し上げ、仏道を真っ直ぐに歩んで参りますとのお誓いをし、そして、この行鉢の功徳を遍く一切に及ぼさんと願い食事を戴くのです。つづく

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