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新到本山研修(平成30年8月28日・29日)

 8月28日、29日の二日間で昨年、秋以降に上山した新到和尚16名を、山本知客、鳥谷部受処接客が引率し御本山へ一泊研修に行って参りました。

 参加者の中から2名の感想文を掲載させて頂きます。

 この度八月二十八日から二十九日にかけて、大本山永平寺への一泊二日の新到研修に参加させていただきました。今回の研修で初めて永平寺の山門をくぐり、諸堂の拝観や法要・夜坐への参加を通して多くの刺激を受けることができました。

 永平寺に到着するとまず、山門の周辺を取り囲む木々や自然の深さ、大きさに圧倒されます。修行僧が僧堂に安居のために訪れることを表す「上山」という言葉がありますが、永平寺への道のりはその文字通りの「上山」であり、これは別院では体感することのできない感覚でした。また山門をくぐる前から目にすることのできる、整備の行き届いた広大な境内の様子から、早くも本山での修行の質の高さ、またその過酷さがうかがえました。

 一日目は諸堂拝観に加え、高祖大師月忌献湯への随喜、更に夜坐にも僧堂の内堂で随喜させていただきました。境内の中に並ぶ諸堂の建造にまず圧倒され、更には、そこでとても長い時間をかけて道元禅師の教えが今も綿々と修行されていることの尊さを肌で感じました。

 とりわけ印象に残ったのは、本山僧堂での坐禅です。本山の僧堂には、別院とは違い冷暖房設備がありません。また東京の街の喧騒や放送が耳に入ってくることもありません。残暑の夜の蒸し暑さを常に感じつつ、風の音だけを聞きながら行じる坐禅。坐っているいまこの時というものを強く意識させられながら、眠くなることもなく行じ終えました。別院の環境でもこの時得た感覚を忘れずに坐禅と向き合っていきたいと感じました。

 二日目には暁天坐禅と朝課、僧堂行鉢、また廻廊清掃への参加をさせていただきました。本山の振鈴は別院よりも一時間早い三時半です。別院では一部の修行僧が起きはじめる時間帯ですが、本山ではその前からとても多くの修行僧がそれぞれの公務や習儀をすでに行っているそうです。身の引き締まる思いで坐禅を終えて法堂に移動すると、朝課が始まります。別院との進退の細かな違いに注目しながら、驚かされたのは殿行や見台などの進退の美しさでした。個人の技術はもちろん、複数人での一糸乱れない動きがとてもきれいで、良い刺激を受けました。その後の小食にも僧堂の内堂で随喜させていただき、本山の修行僧の方と同じ空間で展鉢をし浄粥を頂きました。その後の清掃では、別院の何十倍はあろうかという長い廻廊で、本山の修行僧の方に引っ張られながら雑巾がけをしました。私はすぐに息絶えだえになってしまいましたが、本山の方は別院一行が離位したあとも黙々と作務を続けていました。  初めて訪れた永平寺では圧倒されることばかりでした。しかし、見聞きした多くのものは、規模は違えど別院で経験したり知ることのできたものです。もう一度初心に返り、今後の別院での修行により自信を持ちながら、日々取り組んで参りたいと思います。

 私は、今回の新到研修で初めて永平寺に行きましたが、とても有意義で貴重な経験をすることが出来ました。

 朝の五時半に長谷寺を出発し、途中で休憩を挟みながら九時間ほどバスに揺られると、永平寺の山門に到着しました。そこでまず、永平寺の広さや環境に圧倒されました。私たちの安居する長谷寺は、敷地内から六本木ヒルズや東京タワー、スカイツリーが見え、大都会のど真ん中に所在しています。一方、永平寺は、四方八方が自然に囲まれており、長谷寺よりも世俗から断たれる感覚が強く、まさに「出家」という言葉が相応しい環境であるように感じました。永平寺に安居する雲水は、相当な覚悟をして上山されているであろうと思いますが、仮に私が本山で修行するとしたら、果たしてどの様な気持ちで上山するのだろうかと思いました。

 永平寺へ到着後、高祖承陽大師月忌献湯の法要に随喜させていただきました。長谷寺でも、毎月二十八日、二十九日に高祖承陽大師月忌法要が法堂にて行われますが、永平寺では承陽殿という場所で行われます。承陽殿には、日本曹洞宗の礎を築かれた道元禅師の御霊骨が祀られており、どこか神妙で、厳かな雰囲気を感じながらの法要随喜でした。その後、別院OBであり現在永平寺に安居されている聡視兄に、永平寺山内を案内していただきましたが、どの伽藍も大変立派で、言葉では表現しがたいほどの荘厳さがあり、道元禅師が自らの手で開山されたという尊さも踏まえると、とても感動しました。

 また、僧堂で坐禅をさせていただいたことも強く印象に残っています。前述の通り、永平寺は山に囲まれた環境なので、大自然の音を耳にしながら坐禅を行じました。坐禅中、梵鐘が等間隔で鳴り続いていた点が、別院と少々違いました。ですが、それ以上に大きく異なった点がありました。長谷寺の僧堂は、昭和時代に建築されたので比較的新しく、空調(エアコン)が装備されているので、夏は涼しく、冬は暖かく坐ることができます。一方で、永平寺の僧堂は、明治時代末期に建築された昔ながらの伽藍であるため空調が設置されておらず、四季のあるがままのうつろいを感じながら坐禅を行ずる環境でした。実際、当日は天候が悪く、雨音を聞きながら、じわっと汗ばむような蒸し暑さを感じながら坐禅に励みました。日本曹洞第一道場で坐禅をすることができた喜びとともに、これが大自然と一体となって坐る、本来の坐禅の姿なのかという感動を覚えました。

 そして、私が今回の研修で最も楽しみにしていたのは廻廊清掃でした。前もって体力的にかなりきついと伺っていたのですが、元々体力には自信がある方なので、本山の大衆に負けず頑張ろうと意気込んでいました。しかし、終わってみれば、帰りのバスの中で筋肉痛になったと感じるくらいくたくたになりました。本山の雲水は毎日廻廊清掃をこなしているのかと思うと驚かざるを得ませんでした。ただやはり、楽しみにしていた廻廊清掃を実際に体験することができ、達成感でいっぱいでした。

 永平寺からの帰路には、可睡斎を参拝させていただきました。恥ずかしながら可睡斎がどのような場所か知らずの見学でしたが、日本一の大東司があるお寺だと知りました。風鈴がたくさん飾られており、若者の参拝者も多く、雰囲気がどこか素敵だと感じました。そして、可睡斎の御開山様は恕仲天誾大和尚ですが、どこかで聞き覚えがあると思っていたら、室内看経で唱えている私自身の法系図におられる方と気づき、どこか不思議な法縁があるものだなと思いました。  今回の研修を通して、たった一泊二日ではありましたが、修行僧としてとてもよい経験をすることができました。永平寺は何もかもスケールが壮大で、大本山の名に相応しい大変威厳のある場所でした。永平寺と長谷寺での修行は、前述の通り違った部分もありましたが、規模は違えど基本的には同じことを行履しているということもわかり、自信になりました。他にもたくさん感じたことはありましたが、一文で表現するとしたら、「修行僧として行きたいと思えたし、行きたくないとも思えた場所」でした。兎に角今は、今回の経験を糧に、御征忌に向けて頑張ろうと思えた研修でした。最後に、今回の研修の機会を作ってくださった関係者の皆様に、厚く御礼を申し上げます。

永平寺の菩提座にて記念撮影