古参研修記

古参研修記 藤本 雅史

 六月二十八日から二泊三日の日程で福井県にあります「大本山永平寺」での研修を中心とした古参研修に行ってきました。
 私自身、昨年の古参研修や本山の授戒会にも参加させていただいており、本山に伺うたびに大きな刺激を受けてきましたので、今回も拝登することを心待ちにしていました。
 本山に到着してすぐに、承(じょう)陽(よう)殿(でん)(御開山・道元禅師をお祀りしている御殿)で道元禅師の月命日(二十九日)の逮夜の供養、献湯諷経に随喜し、道元禅師のお膝元での供養に参加できたことに感激し、とても貴重な体験となりました。
 また、今回の研修で新たに感じたことがあります。それは、永平寺内を歩いていると、本山の修行僧と会う度に、その修行僧が足を止め、または手を止めて深々と私たちに合掌低頭してくださりました。
 どこで会っても、皆同じように深く低頭してくださり、徹底されておりました。
 私が修行させていただいている永平寺別院長谷寺でも、入門してすぐにそのことを教えられます。しかし、私も三年目になり、おろそかになっていることに気づかされました。
 廊下で役寮さんや大衆に会っても、歩きながら低頭したり、簡単な会釈をしたりと適当になっていたと思います。
 永平寺別院長谷寺の箴規に「大己(先輩の僧)と逢わば、すべからく合掌問訊を怠ることなかれ」とあります。毎日目にしているのにそのことを怠っていた私自身とても恥ずかしく思いました。古参になり、気が緩んでいたことを自覚し、初心に戻って修行に励んでいこうと心に誓いました。
また、回廊(永平寺の各お堂をつなぐ廊下)清掃にも参加させていただきました。小食(朝食)が終わってすぐに作務衣に着替え、長い廊下を走って最上段の法堂まで登り、下段に向かって雑巾がけをします。階段や長い直線のある永平寺の回廊清掃は肉体的にもとても厳しく、すぐに息が上がってしまいます。そんななか、永平寺の修行僧は毎日、嫌な顔をせず只管に床を拭き続け、それは終了を告げる号令があるまで続きます。そんな永平寺の修行僧の眼はとても力強く輝いてみえました。
 御開山、道元禅師の教えに「修証一等」ということばがあります。只管に修行に打ち込んでいる姿が、そのまま悟りの姿であるというお示しです。作務も坐禅同様、好き嫌いをいうことなく、その時間只管に行じていく。その姿が、尊い仏の姿である。
 今回の研修で、改めてそのことを感じるとともに、これから自分自身がどのように修行をしていけばいいのかを考える良き機会になりました。初心を忘れずに精進してまいります。

古参研修記 伊藤 竜紀

 六月下旬、大本山永平寺・小浜へと研修旅行に行かせていただきました。
 永平寺に到着して、直ぐに威儀を調え、承陽殿での道元禅師の月忌献湯法要に随喜いたしました。偶然にも、昨年の八月に新到(一年目)研修で訪れた際と同じ法要です。一年前に訪れたときには勝手もわからず右往左往しながら、唯々緊張の内に終わってしまいましたが、二度目となる今回は少しゆとりをもつことができ、本山の大衆の読経の声に耳を傾けながらお経を合わせたり、合掌や礼拝を丁寧に意識したりと、一年前の自己との違いを感じることができました。
薬石(夕食)をいただいた後は僧堂外堂での坐禅。長谷寺での坐禅と違い、空調設備のない坐禅。外界の人の声や車の走る音がない坐禅。代わりに聞こえてくるのは時折鳴く虫の声、鳥の声、草木が風に揺れる音。何も感じないのではなく、何もないということを感じ、また、何もないと感じる中にも、多くの何かが存在しているということ。ただ坐るという一点においては、場所や環境に左右されることなく何も変わらないのだということ。坐禅を終えた後、ふとそんな思いが湧いてきました。
 その思いは、翌朝の朝課や小食、回廊清掃でも同様に感じ、坐禅だけでなく、仏道修行の根本の部分は不変なのだと思いました。
 二日目には小浜に向かい、明通寺、神宮寺、羽賀寺などの古刹のお寺に拝登いたしました。
 それぞれ幾たびかの焼失に見舞われながらも、その度に再建され、数百年そこに在り続けたということをお伺いする中で、それぞれのお寺の歴史、また時代は変われども、そこにいる人びとの信仰の深さが伝わってきました。
 特に、神宮寺では創建当時から神仏両道を祀っているという説明をご住職からお聴きし、日本人の古来から続く宗教に対する寛容さ、和合、和恭を重んじる仏教の奥深さを感じ取ることができました。
この度の研修旅行で、本山に伺うのは三度目だったのですが、その度に違う感覚を覚えます。
 きっと、日常長谷寺での修行生活をする中で、私自身変化していく思いや悩みが、そのまま現れているのだと思います。
 しかし、先にも記したように、ただ行じていく、ただ坐るという一点においては何も変わることなく不変である事も同事に感じることができました。
 思いを手放して、ただただ行じていく。日頃頭ではわかっているつもりでも、なかなか実感できなかったことが少しだけわかったような気がいたします。
 このような気付きのご縁をいただけたことに感謝し、今後も日々弁道精進してまいりたいと思います。

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