『晩課如常(ばんかふぎん)』

日々の行持

日々の行持~晩課如常~

お昼の行持が終わると、暫しの休憩を挟んで午後の行持が始まります。午前と同じく諸堂や境内地の清掃を行う作務や、仏典、祖録の講義に、書道や梅花、茶道などの稽古、或いは法式進退、声明の練習、雨天時は坐禅など日によって定められた行持が勤められます。そして、午後の行持が終わり、夕刻、十六時になると、晩のお勤め「晩課諷経」が勤められます。

晩課は仏祖の命日の前晩であれば献湯諷経が勤められ、三と八の付く日であれば僧堂に於いて念誦(仏名を唱え、伽藍や境内地、仏法の護持、人々の安寧、お檀家さんの安穏、或いは修行僧が無常を感じ修行に邁進出来ますようにと祈願)する「三八(さんぱち)念誦(ねんじゅ)」が勤められ、十五日と月末には仏戒を受けた者が半月間に戒律を破ったことを仏祖に懺悔(さんげ)する「略(りゃく)布(ふ)薩(さつ)」が勤められます。その他、長谷寺では修行僧に基本的な法要進退を習得してもらう為に、月に二回の「歎仏会(たんぶつえ)」(仏祖を讃嘆する法要儀式)や「施食会」(餓鬼道に落ちた無縁の御霊[生きとし生けるもの]に食物を供養する法要)を修行しています。また、二月の涅槃会の時期にはお釈迦様のご遺徳を偲び、ご遺言のお経「遺(ゆい)教(きょう)経(ぎょう)」を読誦する「涅槃会略諷経」が、七月のお盆の時期には「盂蘭盆施食会」が営まれます。

以上のような特別な法要がない日は観音堂に於いて晩課諷経が勤められます。晩課諷経は、古くは住持の説法「晩参(ばんさん)」のない「放参(ほうさん)」の日に勤められ、一切の生きとし生けるものに供養していたようですが、現在、長谷寺では「妙法(みょうほう)蓮華(れんげ)経(きょう)如来(にょらい)寿量品(じゅりょうほん)」「妙法(みょうほう)蓮華(れんげ)経(きょう)如来(にょらい)神力品(じんりきほん)」「祇園(ぎおん)正儀(しょうぎ)」を日替わりで読誦しています。

読経が終わりその読経の功徳を回らし向ける「回向(えこう)」では、元来の晩課の意義と同じく「願以(がんに)此(し)功徳(くどく) 普及於(ふぎゅうお)一切(いっさい) 我等(がとう)与(よ)衆生(しゅじょう) 皆(かい)共成(ぐじょう)仏道(ぶつどう)」(願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを)と「普(ふ)回向(えこう)」が唱えられます。

そして、終わりの三度の礼拝では、「衆生(しゅじょう)無辺(むへん)誓願度(せいがんど) 煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん) 法門(ほうもん)無量(むりょう)誓願学(せいがんがく) 仏道(ぶつどう)無上(むじょう)誓願(せいがん)成(じょう)」(迷える人々は限りなく多いがさとりに導き救うことを誓います 煩悩は尽きることがないが断ち切ることを誓います 仏の教えは数え切れないほど多いが誓って学びます 仏として生きる道はこの上なく清らかであるが誓って成仏することに精進します)と「四(し)弘(ぐ)誓(せい)願文(がんもん)」を唱えながら三唱三拝を致します。

晩課諷経は、一切の生きとし生けるものへの回向と、自らが仏として生きることを誓い、その生き方を再確認する法要なのです。

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